灰まみれの映画感想帳

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祝!ブレードランナー続編公開決定

お久しぶりです。今日は映画「ブレードランナー」、それとSF映画についての勝手な考察です。

ブレードランナー2049」の製作が無事終わったそうですね。公開は今年の10月27日予定だとか。舞台は前作から30年後の地球だそうです。監督はカナダ人で「メッセージ」(まだ見てない)のドュニ・ビルヌーブ

今作では新人ブレードランナーのKが新たに起こった世界の危機を解決するため色々頑張るみたいです。

世界の危機とはまたハリウッド映画らしいうたい文句ですが、全然ブレードランナーらしくない感じですな。

映画版「ブレードランナー」は一言で表すと人に混ざっている脱走アンドロイド(レプリカント)を見つけ出して破壊しようとするブレードランナー(刑事)の物語であり、まぁヒトの定義だとか自己の証明方法だとかは要素としては含んでいましたが、原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」にいたっては、脱走レプリカントを懸賞金目当てで追い求めるバウンティーハンター(嫁さんにいびられてる)の物語でした。

ブレードランナー」が映画史に残る金字塔となったのはストーリーゆえというよりもその画期的な未来の表現方法ゆえでしょう。

それまでのSF映画における未来世界の表現方法はもっぱらディストピア的な未来観であり、それは西洋的な舞台と完璧な管理社会を背景にすることで、人間性が否定される偽ユートピアを描いたものでした。ジョージ・オーウェルの「1984年」や「未来世紀ブラジル」などがその代表格でしょう。これはもちろん共産主義への否定という現実世界の状況を反映したものでした。

しかし「ブレードランナー」が提示した様々な人種が入り乱れるアジア的な(80年代の日本だそうですが)都市を背景としたカオスな未来観は、それまでの西洋的で管理社会をモチーフとした初期型SF映画とは一線を画すものでした。これは当時の環境破壊問題や増長していく資本主義、膨張するアジアが背景にあったのでしょうが、ここからSF映画は「カオス」な時代に突入していきます。

そして「カオス」なSF映画なモチーフとして「アジア」はSF映画のひとつのガジェットして取り入れられていきます。「甲殻機動隊」や「マトリックス」、「AKIRA」などがあげられるでしょう。人口が増え続けていく、人類は拡大していくものという前提にとってアジアは象徴として使われました。

もう一つ象徴として使われたのは「宇宙開発」でしょう。拡張を続ける人類の領域はいずれ地球を離れ宇宙に飛び出していく。「ガンダム」や「マクロス」などSFアニメにとって「宇宙」という存在はなくてはならないものでした。

しかし2000年代に入り、「カオス」的SF映画とは趣を異にするものが現れました。「カオス」SF映画が前提としていた人類の膨張は、先進国における人口減少問題によって、永遠に成長を続けていくと思われていた資本主義はたびかさなる経済危機による崩壊の兆しによって崩れ始めました。宇宙開発すら国家ではなく民間主導で行われるようになった現在、もはや人類が大規模な宇宙移民に乗り出す想像は難しくなりました。(TED曰く人類の人口は90億人ほどで安定するのではないかとか。いやはや)

そんななか新たに表れた新型SF映画は人類の衰退という前提に立ち、いかに崩壊に対処するかがキーとなっていきました。アニメ映画ばかりで恐縮ですが水島精二監督の「楽園追放」や伊藤計劃の「ハーモニー」また、「PSYCHO-PASS」などです。

「ハーモニー」では個人が社会の資源(リソース)として尊重され、「管理者のいない」管理主義が描かれましたが、ある意味テクノロジーの進歩によって古典的なSFが再生産されました。

「楽園追放」においてはヒトそのものが電子化されて人類の在り方自体が変革を遂げた様が描かれましたが、攻殻機動隊における「人を一個の情報の運び屋ととらえた場合、都市は(つまり社会は)巨大な情報記憶装置である」という比喩そのままになりましたね。

このような新たな未来像が提示され始めた中で、これから公開されていくSF映画が同のような映画になるのか非常に楽しみです。「ブレードランナー2049」は続編であることを強く意識しているようですが、、、

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